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どうしてサンマリノにいつも行っているのか。そう聞かれる。もちろんインバウンドの仕事をしているため。イタリアからのお客さんは金沢に非常にたくさん訪れていて、イタリアのバチカンのようにこのサンマリノはイタリアの中に位置しており、インバウンド研究のためにも知っておくべき場所の一つであることは間違いない。
縁のはじまり:サンマリノまつりへの参加
このサンマリノ共和国との縁は、サンマリノ友好協会が開催している「サンマリノまつり」に参加したことがきっかけだった。2023年に参加したのがはじまり。最初はウエディング関係から、着物の展示という話で声がかかった。サンマリノまつりには日本に興味のあるイタリアやサンマリノの方が多く集まるから、着物も海外に輸出できるのではないか——そんな気持ちがどこかにあったと思う。そこからサンマリノとのつながりが始まった。


サンマリノまつりとは何か
この「サンマリノまつり」とは一体なんなのか。話すと長くなるが、まず、この国には「サンマリノ神社」という神社が存在する。お神輿もその神社に納められている。日本にある神社のような雰囲気だが、ここは本格的な神社で、建物の木材は伊勢神宮から運ばれたもの。サンマリノ共和国特命全権大使、マンデオ・カデロ大使が実質、個人的に建立したという。2011年の東日本大震災のとき、サンマリノの地から日本に祈りを捧げたい——その思いが始まりだった。




目黒のお神輿が海を越えた理由
神社の建立後、東京・目黒のお神輿がサンマリノに届くことになる。お神輿は維持管理が大変で、続けるのが難しくなる町会もある。目黒区中町東町会もお神輿の廃止を検討していたという。震災で流された地域のお神輿の代わりに寄付を、と動きがあるなかで、その話を聞きつけたカデロ大使が「サンマリノ神社に寄付してほしい」と手を挙げた。いまもそのお神輿は、サンマリノで年に一度、担がれている。
年に一度担がれる理由が、サンマリノで開催される「サンマリノまつり」だ。一般社団法人サンマリノ友好協会が主体となって行う、日・サンマリノ友好のまつり。サンマリノ神社での例大祭とお神輿を中心に、日本に関係するさまざまなイベントが開かれる。


2025年のサンマリノまつり


サンマリノまつりは2日間にわたって開催される。コロナが明けた2023年から現在の名称で再開し、2025年で3回目の開催となった。2025年は金沢の石浦神社から宮司さんが、わざわざ現地まで来てくれた。お神輿を組み上げ、安全に運行するためだ。おかげで私自身もお神輿の作り方を身につけた。大きな収穫だった。
話が長くなったが、このまつりは日サ両国の友好のために、年に一度、必ず催されている。なぜ毎年参加するのかと言われれば、もう「視察」という言葉は当てはまらない。すべてのはじまりはサンマリノ神社を建立したマンデオ・カデロ大使の人柄にある。彼の日本への想いが、現地にも、そして日本の私たちにも伝わっているのだと思う。
サンマリノという国を少し紹介
ここで少し、サンマリノという国の話を。イタリアの中腹に位置する小国で、バチカンのようにイタリアの国の中にある。大きさは世田谷区くらい、人口は約3.4万人。日本なら特例がなければ市にならない規模だ。名物は三つの塔——グアイタ、チェスタ、モンターレ。旧市街は山の上にあり、坂が多い。車かバスで上がるのが一般的で、旧市街からはケーブルカーも出ている。サンマリノと聞いて思い浮かべる“丘の上の国”というイメージ、そのままだ。


アクセス:ボローニャ→リミニ→サンマリノ
アクセスは正直、良くない。まずはイタリアのボローニャへ行くのが一般的で、そこから鉄道や高速バスでリミニへ(1〜2時間)。リミニは学生とバカンスでにぎわう街。さらにリミニ駅からバスでサンマリノ旧市街へ(約1時間)。日本からなら、乗り継ぎを含めて20時間は見ておきたい。
サンマリノ神社への行き方
サンマリノ神社へのアクセスはさらに骨が折れる。基本はリミニ駅からサンマリノ行きの公共バスに乗り、途中の「Fiorina」で降りて徒歩20分。ぶどう畑の広がる田園地帯の真ん中に神社が建つ。途中下車する人がほぼいないので、運転手にしっかり「Fiorinaで降ります」と伝えるか、降車タイミングを慎重に見計らう必要がある。
2026年もサンマリノまつりは開催予定だ。多くのスタッフがボランティアで支えていて、いつまで続けられるか心配になる瞬間もある。それでも、またあの丘へ行くつもりだ。神社があり、神輿が動き、まつりが続く限り。