ネパール・パシュパティナート寺院の歩き方。火葬とアールティで知るヒンドゥーの死生観
旅行記
パシュパティナートのガイドと共に撮影

ネパール・パシュパティナート寺院の歩き方。火葬とアールティで知るヒンドゥーの死生観

公開 ネパール🇳🇵

目次

ネパール・カトマンズにあるパシュパティナート(Pashupatinath)をご存知だろうか。このネパール・カトマンズのパシュパティナートは、観光名所というより、都市の宗教と生活がそのまま露出している場所だ。寺院はシヴァ神を祀るヒンドゥー教の最重要聖地の一つで、カトマンズ盆地の世界遺産群(Kathmandu Valley)の構成要素にも含まれる。そして、バグマティ川沿いの火葬場(ガート)と、夕方のアールティ(礼拝)が、この場所の空気を決定づけている。

インドのバラナシはガンジス川の火葬場(ガート)で有名であるがネパールのパシュパティナートも同様である。ガートで遺体を焼き、その灰を川へ流す。

この記事は、私のネパール滞在記のうち「パシュパティナート滞在」だけを独立させ、現地で実際に迷いやすい点(料金、導線、撮影、ガイド、混雑)と、現場で立ち上がってくる死生観を、できるだけ具体的に整理したものだ。2025年12月にパシュパティナートへ足を運んだ。

パシュパティナートを川の上流サイドから撮影
次々と運ばれてくる遺体。右側の建物は病院となっている。
白い装束を着た方が日本でいう喪主。葬儀前には喪主は髪を剃り丸坊主になる。

なぜ川辺で遺体を焼き、灰を川へ流すのか

そもそも、なぜ川辺で遺体を焼き、灰を川へ流すのか。パシュパティナートの核心は、寺院そのものというより、バグマティ川沿いで行われる火葬と、その灰が川へ戻される一連の流れにある。宗教の死生観が、街の日常の仕組みとしてそのまま見学することができる。

およそ3時間で遺体は燃える。バラナシも同じ3時間だった。燃えた後の灰はそのまま川へ流す。

ヒンドゥー教側の発想

ヒンドゥー教では、遺体は「その人そのもの」ではなく、魂が抜けたあとの身体だと考えられやすい。死は終わりではなく、生まれ変わり(輪廻)の流れの中の一つの出来事で、これまでの行い(カルマ)が次の生に影響する、という考え方が土台にある。

そのため、遺体をどう扱うかは遺族にとって大切な儀礼になる一方で、身体そのものに強くこだわり続けることはしない。

火葬は、身体を早く自然に戻し、魂が次へ進むための区切りをつける行為として受け止められている。灰を川へ流すのは、清めの意味と、「もうこの世のものではない」という区切りをはっきりさせる意味がある。水に返すことで、個人として残っていたものが薄れ、自然の中へ戻っていく感覚が強まる。

また、バグマティ川が最終的にガンジス川につながっていくという感覚もあり、バラナシと同じ発想という理解で間違いはない。

上座仏教側の発想

おそらく仏教徒のお坊さんがお経・マントラを唱えていた。かなり珍しいらしい。彼が吹く笛は人骨とのこと。

日本の大乗仏教とは異なり、タイやここネパールの上座仏教(テーラワーダ)では、この世のものは変わり続ける(無常)、思い通りにならず苦しみが生まれる(苦)、固定した「自分」という実体はない(無我)、という考え方が基本にある。だから身体も、「これが私だ」という本体というより、さまざまな条件が重なって一時的に成り立っているもの、と受け止められやすい。

この考え方に立つと、遺体は「その人」ではなく役目を終えた身体として扱われやすい。火葬は、身体を自然に戻すための方法として合理的であり、同時に生きている側に「人は必ず死ぬ」「すべては移り変わる」という現実を突きつける場にもなる。

灰を川に流すかどうかは地域や習慣で違いがあるが、少なくとも「形を残さず自然に返す」「執着を手放す」という方向に向かう空気は、この場所で感じ取りやすい。

ネパールではこの二つの死生観がグラデーションのように混ざる

ネパールの面白さは、ヒンドゥー教と仏教(上座仏教系の考え方を含む)が、きれいに線引きされて存在しているわけではない点にある。外から見ると「ここはヒンドゥー教の聖地」「ここは仏教の寺」と区別できそうに見えるが、生活の中ではもっと曖昧で、混ざり合っている。私はそれを、二つの色が境目なく溶け合うグラデーションのように考えると良い。実際にここで火葬できるのはヒンドゥーと仏教徒だ。

パシュパティナートはヒンドゥー教の中心地であり、儀礼の基本もヒンドゥー教の作法で動いている。ただその周辺には、仏教徒も普通に暮らしていて、死に向き合うときの言葉や距離の取り方に、仏教的な影が差す場面がある。遺体を「抜け殻」として扱う感覚、執着を手放す方向へ向かう空気、無常を前提にした落ち着き。そうしたものが生活の雰囲気として混ざりあっている。

日本の死生観と、決定的に違う点

数多くの火葬場が24時間体制で運営されている。焼き人も聖職者であるとガイドが言っていた。

日本では、神道や仏教(主に大乗仏教)、それに家や社会の慣習が重なり合って、死が家族や地域のつながりの中で扱われやすい。遺体や遺骨は、ただの物としてではなく、「その人の名残」として丁寧に扱われることが多い。火葬が一般的になった今でも、遺骨は墓に納め、法要を重ねながら、故人を思い出し、家族としての区切りをつけていく。

一方でパシュパティナートでは、遺体を焼き、灰を川へ流すことで、身体を早く自然に返し、死に区切りをつける感覚が前に出る。死者を長く手元に残すというより、「自然に戻す」ことを重視する。ここが日本との一番大きな違いになる。

比較表:遺体・遺骨の位置づけと「川へ流す」意味

観点ヒンドゥー教(パシュパティナート的実感)上座仏教(パシュパティナート周辺の実感)日本(大乗仏教+神道+儒教的慣習の混合)
遺体の位置づけ魂そのものではない。儀礼上の対象無我・無常の観点で「私」ではない。条件で成り立つもの故人の延長として扱われやすい。人格の余韻が残る
火葬の意味肉体を要素へ戻し、次へ進ませる手続き無常を示し、執着をほどく。要素へ戻す合理送る行為としての丁寧さが強い。弔いの中心
灰・遺骨の扱い灰を川へ返し、循環に接続し「完了」させる方向地域差はあるが、残滓への執着を弱める方向遺骨を骨壺に収め、墓へ。家と縁の記憶を維持
川へ流す理由浄化の媒体。聖なる水へ返し、解放を確定自然へ返す象徴。執着の解除と無常の強調一般的には少ない。散骨は海が多く、川は例外的
生者に与える効果「死は処理され、循環へ戻る」という感覚が強い無常の実感、観察者にも修行的圧がかかる死者との関係を継続する装置(法要・墓・先祖観)

今回の訪問は16:00〜19:00

私が訪れたのは夕方で、滞在はおよそ3時間(16:00〜19:00)だった。夕方に寄せた理由は単純で、火葬の現場と、夜のアールティが同じ空間の中で連続して見学できるから。ここは「昼の名所」より「夕方の現場」を訪れたほうがいい。時間帯は実際に行ったので良くわかる。16:00〜19:00くらいがちょうど良い。

同日の昼はスワヤンブナート、パタン旧王宮広場などを回り、夕方にパシュパティナートへ入った。観光の文脈で見れば“最後に置きやすい場所”だが、精神的には一番重い。だから、体力と気持ちに余裕がある日に回したほうがいい。

1. 入場料と現地ガイド(入場料1,000ルピー)

外国人は1,000ルピーである旨が書かれている
支払いをすると大きめのチケットが渡される

パシュパティナートは、外国人に入場料が設定されている。観光客は1,000ネパールルピー。基本的に自己申告に近い運用で、スタッフが外国人らしい人に声をかけるかなり雑なシステムで運用されている。

ネパールはインドと違いそこまでおかしな声がけする人もいないので安心だが、入場チケット購入後にガイドに声をかけられることがある。私はネパールではガイドを是非ともお願いすべきと思っている。ネパール人は耳がいいのだろうか?日本語ができる人も非常に多くよく深く理解することができ、またガイド量もとても安価で頼みやすい。1,000〜2,000ネパールルピー/人で日本語で解説してくれる。相場さえわかっていればお願いもしやすいだろう。

私はチケット売り場すぐ裏の高台で声をかけられた。ガイドの名前はヒンドゥーの神と同じ名前の「ビシュヌ」さんだった。彼のガイドはとても良いのでお勧めしたい。非常にわかりやすいガイドで助かった。この記事を見て日本から来たと彼に伝えてもらえると嬉しい。

ガイドのビシュヌ。素敵な名前ですねと言ったら「名前だけ立派」と切り返される
様々な神様の説明を受ける。これはガイドがいないとわからない
エベレストの方面を意識した建物の作りの話が印象的だった
遺体を載せるタンカの場所も教えてもらう。24時間営業のため全てがこのエリアで賄われている

2. 私のような非ヒンドゥーの立ち位置

ガイドがいるとどこで写真を撮ってもいいのかなどある程度把握できるのだが、パシュパティナートでは、観光客が歩ける場所と信者しか歩けない場所があるので注意。一般に、ヒンドゥー教徒以外は本殿の中に入れないとされ、基本的に見学は橋の上や外周や川の対岸から。

この制限は宗教施設としての当たり前の区切り。むしろ境界がはっきりしている分、こちらも振る舞い方を決めやすい。どこまで入ってよくて、どこから先は踏み込まない方がいいのかが見える。

恐る恐るこの写真を撮っているときにガイドに声をかけられる。ガイドがいると写真も撮りやすくなる

3. 火葬場が3つに分かれる感覚

この中央にあるのが王室専用の火葬場だったらしい。現在は王室廃止のため利用されていない。
1900年のパシュパティナート。王室の火葬場が利用されていた頃の写真。
Pashupatinath Photo: Dr. Kurt Boeck, 1900 所蔵:Patan Museum
煙が上がっているのが地元の盟主などの火葬場。1つのみ。一般の火葬場のよりかなり高価
この列の火葬場全てが一般の火葬場。24時間営業

現地でまず分かったのは、火葬の場所がいくつかに分かれていて、そこに身分や経済力の違いがはっきり表れていることだ。

  • 以前の王族の火葬場(いまは使われていない。私が行ったときは僧が読経していた)
  • お金持ちの火葬場(実際に火葬が行われていた)
  • 一般の火葬場(ヒンドゥー教徒と仏教徒のみ火葬できる、という説明だった)

この区分は、現場に大きく分かりやすい案内があるというより、ガイドの説明や周囲の様子を見て少しずつ分かってくる。つまり、死後の扱いも平等ではなく、社会の仕組みがそのまま出ている。ここは、その現実が隠されない場所だ。これがカルマでもあるのだろうか。

ガイドは、さらに火葬場から遠くに見える煙突を指を差し、遠くに見える火葬場はヒンドゥー、仏教以外の宗教の人。または、お金がたいしてなくとも火葬してくれる場、薪ではなくガスで焼かれるという話もしてくれた。

遠くに見えたこの煙がガスで焼いている火葬場の煙だとガイドの説明を受けた。あらゆる宗教の人はこのガスの火葬場で焼かれる。

川辺の火葬は焼いたあとの灰は川へ流される。火葬場はバグマティ川沿いにあり、この川そのものが宗教的に大切にされているということ。

バグマティ川は南へ流れていき、最終的にはガンジス川の水系につながっていく(支流を経由する)。だから「バラナシはガンガー、ネパールはバグマティ」という対比も、ただの比喩ではなく物理的に合理性が高い。

4. 「遺体は抜け殻」という距離感

火葬を目の前で見ると、まず気持ちが揺れる人は多いと思う。「なぜ川辺で遺体を焼き、灰を川へ流すのか」でもその理由は多く語ったのだが、遺体をそんなふうに扱っていいのかと感じる方もいるのだろう。

そもそもヒンドゥー的な儀式で考え方が日本と違う。遺体はすでに魂が抜けたあとの身体であり、「本人そのもの」ではない、という感覚。その感覚が、宗教の話にとどまらず日常の感覚として根付いている。

日本の葬送では、遺体は「その人の名残」として丁寧に扱われやすい。死者は仏になり、どこかで見守っている、という感覚も残る。遺体と「その人」が綺麗さっぱりと切り離されにくい。

このパシュパティナートでは、生と死の距離が近い。そして私のような外国から来た観光客ですら見物することができる場所。死ぬ姿を見せること。これもまた先人の知恵だろう。生きることにおけるフィナーレであり人生の一部であるということを心に焼き付けた。

遺体は抜け殻とはいうものの、泣き崩れ大泣きしている人の声も耳にした。宗教が異なっても死には変わりはない
ご遺族が最後まで見守っていた。完全に焼き終わるまで約3時間。これはバラナシも同じくらいの時間だ。

5. 夜のアールティ。バラナシと同型の熱

アールティが始まるのを待つ現地の人々。アールティはこの段の上で行われる。
プログラムはバラナシとほぼ同じ。鈴、煙、炎の流れ。
炎のパターンは3種類程度。パシュパティナートのアールティはマスクあり。

日が落ちると、川辺で火を使う礼拝(アールティ:Bagmati Aarati)が行われる。私の印象としては、バラナシで見たものとだいたい同じ「火の儀礼の熱」だった。

土日は混みやすい。私も、曜日によって密度が変わるだろうという感触があった。アールティは“ショー”ではない。見せる側の意図が「神への礼拝」である以上、観る側の態度が問われる。拍手や歓声より、距離と静けさが合う。

バラナシもパシュパティナートもアールティの流れはだいたい同じ。ヴェーダやマントラ(ヒンドゥーのお経)が唱えられ炎のショー。鈴と煙を焚く。その後、3パターンくらいの炎のショー。最後にヴェーダやマントラを唱え万歳のようなまとめ方でショーが終わります。YouTubeでもフルバージョンがあると思う。

6. 要注意:修行僧の「撮影課金」

このような白塗りのひとはだいたいは撮影課金人物
※ 画像はAIでの生成です

ネパールはインドと違ってそこまで声かけの人は少ないのだが、注意して欲しいのは写真を撮るとお金を請求してくる修行僧です。特に“派手な聖人風”は注意が必要で、写真を撮るだけでかなりの金額を請求してきます。寄付だと言いますが払えと迫ってくるのは寄付ではないと思う。

ガイドの話によると、修行僧の撮影は500ネパールルピー以上とのこと。現地ではかなり高め。

7. 行ったからわかる現実的な話

パシュパティナートの歩き方ノウハウをまとめておく。

  • 16:00到着が良い。火葬の様子を見たあとそのまま夜のアールティまで流れで体験できる。
  • 滞在は2〜3時間を想定して。
  • 入場料は1,000ルピー。A4の大きな記念チケットがもらえます。
  • 日本語ガイドを探そう。1,000〜2,000ルピーで一緒にパシュパティナートを回ってくれる。
  • ガイドと一緒なら撮影がしやすい。どこを撮影していいかもしっかり教えてくれる。
  • アールティで混雑しても人の波に入ると意外と近くで見れる。橋の上は結構穴場。
  • 帰りは結構混雑する。Pathaoなどのタクシーも捕まりにくいので注意。
帰り道はかなり静かだった
パシュパティナートに面した大通りはかなりの交通量です。

結び

高台から見たパシュパティナート。左奥には老人介護施設。右側には病院。正面には宗教施設と火葬場。そして遺体を流す川。生きること全てがこの場所にあるように思う。

バラナシで見たものと同じ型の光景がネパールにもあった。川辺の火葬、夜の火の儀礼、祈りの熱量。場所は違っても、同じ流れが続いている。ここで改めて、ガンガーという存在の大きさを別の角度から知った気がした。ガンジスへつながる水の感覚が、ネパール側にも息づいている。

パシュパティナートは火葬場が強調されがちだが、現地へ行くとわかることは「死の場所」だけでは終わらないということ。周囲には老人施設や病院が並び、そこに人の暮らしがある。しかもそれが、観光客の目にも入る距離で同時に見えてしまう。死は特別な出来事ではなく、誰にでも起きることだという当たり前が、隠されずにそこにある。だからここは、死を怖がる場所というより、美しい死とは何か、どう死を迎えるべきかを考えさせられる場所なのだと思った。

そしてここは、ネパール人の生き方と死に方、ネパール人として生きるという人生の輪郭を、ほんの少しだけでも触れさせてくれる場所なのだと思う。火葬の煙、祈りの声、川の流れ、周辺の生活。その全体が重なって、ネパールという国の現実が見えてくる。ネパールという生き方、ネパールという国がとても好きになった。

場所、タクシー下車の場所など

住所:Pashupatinath Temple: 44621 Pashupati Nath Road, Kathmandu 44600 ネパール

Pathao Taxiでお願いするとかなり手前のゲートのところで降ろされるので歩いて川沿いまで行こう。

おそらくタクシーで行くとこの辺りで降ろされる。左側の通路から入ります。
まっすぐ進むと川沿いに出ます。
学校とか老人施設などが立ち並んでいる。

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