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2025年の12月にタイ🇹🇭ドンムアン→ネパール🇳🇵→インド🇮🇳ニューデリー→インド🇮🇳アグラ→インド🇮🇳バラナシ→スリランカ🇱🇰→香港🇭🇰のルートで最もディープなアジア周辺を回ってきた。日本にはほぼいない上座仏教、ヒンドゥーの思想がよく理解することができた。インドの奥深さもよく知ることができた。その旅のスタートとなるネパールについて旅のノウハウを交えた記事を作った。ネパールを旅する方の参考になれば幸いだ。
ネパールという国
そもそもネパールとはどこにあるのかという話だが、エベレストの麓に位置するのがネパール。インドと中国の間の山間部に位置するのがネパール。日本でも馴染みのブッダの出身地でもあるのがこのネパールだ。このネパールの歴史はネパールの中心であるカトマンズ盆地が「3つの王国」に分裂するまでの壮大な流れを知っておくだけで少しネパールの全体がわかるようになる。
カトマンズは大きな盆地になっているのだが、あの盆地はかつて「巨大な湖」だった。


1. 神話の時代:湖から生まれた土地
遥か昔、カトマンズ盆地は水をたたえた巨大な湖で、 伝説によると、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)という神様がやってきて、持っていた剣で南の山(チョバール)を切り裂きました。すると水が一気に流れ出し、肥沃な土地が現れました。これがカトマンズ盆地の始まりと言われています。日本の伝説のようだ。
2. キラート王朝:最初の支配者たち(紀元前〜紀元後300年頃)
最初にこの土地を治めたのは、キラート族と呼ばれる先住民族。 彼らは非常に勇猛で、インドの叙事詩『マハーバーラタ』(日本の古事記のようなもの)にも登場するほどの先住民族。この時代はまだ素朴な部族国家でしたが、現在のネパール人のルーツの一つ。
3. リッチャヴィ王朝:芸術と宗教の「第一の黄金期」(300年〜879年頃)
インド北部からやってきたリッチャヴィ族がキラート族を倒し、新しい王朝を築きました。これがネパールの文化的な基礎を作った重要な時代。
- 文化の開花: インドの文化を取り入れ、ヒンドゥー教と仏教が共存する独自のカトマンズ文化が生まれた。現在のカトマンズの雰囲気はこの時代に作られたもの。
- 遺跡: カトマンズ最古の寺院と言われるチャング・ナラヤン(世界遺産)は、この時代に作られた。
- 対外関係: 名君アンシュ・ヴァルマ王の娘(ブリクティ)がチベット王に嫁ぐなど、中国・チベット・インドを結ぶ交易路として栄えた。
4. タクリ王朝:過渡期(879年〜1200年頃)
リッチャヴィ朝の後に続いた時代です。この時期に「カンティプール(現在のカトマンズ)」という都市の基礎が作られたと言われています。「カスタマンダップ(木の寺)」という建物が作られ、これが「カトマンズ」という名前の由来になった。現地のガイドもこの話をよくしていた。
5. マッラ王朝の統一と「分裂」の悲劇(1200年〜1484年)
そして、現在の旧市街地にも残るマッラ王朝が登場する。マッラはインド北部から逃れてきた一族らしく、「マッラ」とは「力士(レスラー)」を意味する。モンゴルのような感じだったのだろうか。武力の争いではなくタクリ王朝からマッラ王朝に移行したというような感覚だろう。
- 繁栄の頂点: 特にヤクシャ・マッラ王(在位1428〜1482年)の時代、カトマンズ盆地は完全に統一され、領土も最大になり、文化・芸術・経済が最高潮に達する。
- 運命の遺言(分裂へ): 偉大なヤクシャ・マッラ王は、死ぬ間際に国を自分の子供たちに分け与えてしまいました。
- 長男にバクタプル(当時の首都)次男にカトマンズ(現在の首都)三男にパタン
こうして、兄弟や親戚同士で国を治めることになった3つの国(カトマンズ、パタン、バクタプル)は、互いに強烈なライバル心を燃やした。この兄弟喧嘩のような競争心が、現在私たちが目にする世界遺産の美しいダルバール広場や寺院群となっている。
皮肉なことにこの兄弟の争いが仇となる。北部で暮らしていたゴルカ王国が国を拡大する上でマッラを侵略に訪れた際に、このバラバラの三兄弟が一致団結することはなくゴルカ王国に飲み込まれてしまう。なんとも皮肉な話だ。そんな3つの旧市街地を見て回るのがカトマンズの観光と言っても良い。



旅程と実際のルート
しげ旅などでも動画はあるがどのようなルートが理想なのかはまた別の話で実際に私が回ったルートは下記の通りだ。タイバンコク(ドンムアン)からネパールに入国した。3泊4日をフルに移動した。
ネパールへ行く際に準備しておくべきものは2つ。1. 証明写真(現地で電話番号付きSIMカード購入に必要)2. 米ドル(アライバルビザ発行時に30ドルあった方が確実)
| 日時 | 場所・アクティビティ | 詳細メモ |
| 1日目 | カトマンズ到着 | |
| トリブバン国際空港 着 | Thai Lion Air (SL220) にてバンコクより到着。アライバルビザ取得(30米ドル)。SIMカード購入(証明写真必要)。 | |
| Pathaoでホテルまでタクシー移動(車が良い) | ||
| Kathmandu Guest House (別記事で詳しく紹介) | タメル地区のホテルへチェックイン。 | |
| Everest Momo Center | 夕食。名物のスープモモを実食。 | |
| タメル地区散策 | Masala Beadsなどで現地の空気感に触れる。 | |
| Paru Thakali Kitchen | ネパールといったらダルバート。初めてのダルバートはここで。 | |
| 2日目 | カトマンズ盆地周遊 | |
| Kathmandu Guest House | 11:00くらいに出発 | |
| Pathaoで移動(バイク移動) | ||
| スワヤンブナート | 「モンキーテンプル」。丘の上からカトマンズ盆地を一望。 | |
| Pathaoで移動(バイク移動) | ||
| パタン(Patan) | 旧王宮広場(ダルバール広場)、パタン博物館を見学。ネワール建築の傑作に触れる。 | |
| Narayan dai ko masangalli ko famous momo | 昼食にモモを食べる。 | |
| Pathaoで移動(バイク移動) | ||
| パシュパティナート (別記事で詳しく紹介) | ヒンドゥー教聖地。火葬場(Arya Ghat)の見学と、日没後のアラティ(火の儀式)を鑑賞。日本語のガイドに遭遇しお願いした。1,000ネパールルピーだったがおそらく安すぎだった。ガイドは30分ほど。 | |
| Pathaoで移動(車移動) | ||
| Green Villy Restaurant | タメル地区に戻り夕食。 | |
| 3日目 | ボダナートと旧市街 | |
| Kathmandu Guest House | 朝食はホテルで。10:00くらいに出発(徒歩) | |
| ダルバール広場(カトマンズ) | クマリの館周辺など、カトマンズ中心部の歴史地区を散策。日本語のガイドに遭遇しお願いした。1,000ネパールルピーだったが次のボダナートまでお願いした。バイクで送迎してくれて合計4000くらい払った。すごく良いガイドだったのでおすすめ。 | |
| ガイドのバイクで移動 | ガソリンスタンド等を経由しボダナート方面へ移動。 | |
| ボダナート(Boudhanath) | チベット仏教の聖地。ストゥーパ周辺を散策。 | |
| ガイドのバイクで移動 | ホテルまで送ってくれた | |
| Kathmandu Guest House | ホテル帰着。翌日のインド移動に向けた準備。 | |
| Thakali Bhanchha Ghar | ネパール最後の夕食はダルバートで。 | |
| 4日目 | インドへ移動 | |
| Pathaoで移動(車移動) | 空港までは混み合うので注意が必要。 | |
| トリブバン国際空港 発 | IndiGo (6E32) にてデリーへ出発。 |
ネパール・アライバルビザの取り方(カトマンズ・トリブバン国際空港)
ネパールへの入国に際しては、日本国籍者であってもビザの取得が必須。 取得方法は大きく分けて「日本での事前取得(大使館)」と「現地空港でのアライバルビザ」の2通りがあるが、今回は日本国内での特別な手続きを行わず、現地で取得するアライバルビザを選択するのが良いと思う。出発前に特に行うことはなく心配はいらない。米ドルは30ドルを準備しておいたほうがスムーズだろうという程度なので何も心配はいらない。
1. ビザの要件と費用構造
観光目的のビザ料金は滞在期間によって定めらている。大体は30米ドルの15日間だと思う。
- 15日間:30米ドル
- 30日間:50米ドル
- 90日間:125米ドル
2. 申請書類の作成
トリブバン国際空港の到着ロビーには、ビザ申請のためのエリアが設けられている。ここでまず申請データの作成を行うのだが、そのアプローチには以下の2つの選択肢が用意されている。
- 専用キオスク端末の利用 インターネット接続環境を持たない、あるいはスマートフォンを使用しない旅行者向けの入力端末。
- QRコードによる申請(おすすめ) 自身のスマートフォンで掲示されたQRコードを読み込み、オンラインフォームから申請を行い、バーコード(申請コード)を取得する方法。下記のQRコードで申請が可能(現地でのみアクセス可能)
いずれかの方法でデジタル上の申請を完了させ、発行された受付票(またはスマホ画面)を提示する形式である。


3. ビザの支払い
ビザ申請書類完成後、ビザ料金支払い窓口へ。 ここでは現金での支払いが求められる。到着ロビーには外貨両替窓口も設置されているため、日本円等をその場で両替することも物理的には可能のはず。経験的に米ドル(USD)の現金を日本から持参するのが良いような気がする。


ライドシェアPathaoと電話番号の壁(物理SIMはあったほうがいい)と車のナンバー読めない問題
カトマンズの移動において、現地の人々の足となっているのがライドシェアアプリ「Pathao(パタオ)」だ。UberやGrabのネパール版と言えるこのアプリを利用するには現地での電話番号の取得(SMSの受信)、SIMを購入するには証明写真が必要、ネパール数字の壁があるので紹介したい。結論から言うと(1)SIMカードが入るスマホ(SMSを受信できればいい)(2) 証明写真(パスポートサイズ) があれば大丈夫です。
1. 現地電話番号(SMS認証)が必要
ネパールでは私が利用しているahamoも対象エリア外で利用できない。Pathao利用時のアカウント作成時には現地の電話番号(SMS認証)での認証が必須。日本の+81のローミングではアカウントが作成できずPathaoが利用不可能。そのために現地でのSIMカードを入手する必要がある。さらに、SIMカードを購入する際には自身の証明写真が必要。
2. サンスクリット由来のナンバープレート
SIMを取得し、無事にPathaoでバイクや車を配車できたとしても、次に立ちはだかるのが「自分の呼んだ車がどれか分からない」という問題。これは本当に困る。
アプリ上のナンバー表示は「BA 2 PA 1234」のように英数字で表示されるのだが、実際に来る車両のナンバープレートは、多くの場合デーヴァナーガリー数字(ネパール数字)「१२३४」 と表記されているからだ。読めない。
以下に、現地で解読のために作成した対応表。現地では対応表を出している時間がないのも実際。

【フィールドノート:ネパール数字の解読】
特に「1」と「9」、「5」と「4」の形状が直感と異なるため注意が必要。
| アラビア数字 | ネパール数字 | 形状の特徴(覚え方) |
| 0 | ० | 小さな丸。ゼロに近い。 |
| 1 | १ | 英語の「q」や「9」に似ているが、これは「1」。 |
| 2 | २ | 「2」を少し崩したような形。 |
| 3 | ३ | 「3」の下に尻尾が生えた形。 |
| 4 | ४ | 「8」の上が開いたような形。 |
| 5 | ५ | 英語の「y」や「h」に似ている。 |
| 6 | ६ | 「3」を左右反転させたような形。 |
| 7 | ७ | 英語の「u」や、ひらがなの「b」の下半分に似る。 |
| 8 | ८ | カタカナの「?(ハ)」や、斜めの線に近い。 |
| 9 | ९ | 「?」を逆さまにしたような形。 |
スワヤンブナート


スワヤンブナートは、カトマンズ盆地の西側の丘に乗ったストゥーパ。しげ旅のしげさんも最初に訪れていた。「モンキーテンプル」と呼ばれるが、主役は猿ではなく信仰である。丘の上に上がるだけで、カトマンズという都市が「盆地」だということは一目でわかる。ここは景色の名所というより、盆地全体の構造を身体で理解する場所。
「スワヤンブ(自生・自現)」という名前が示す通り、このストゥーパは自然に現れたという由来を持つ。盆地がかつて湖だったという神話と結びつき、湖に生じた光や蓮の物語が、丘の上の信仰として理解されている。ネパールの宗教空間は日本と結構似ていて、物語を地形に結びつけるのが上手。
白い半球のドームに尖塔が立ち、四面にはブッダの目が描かれる。谷のどこからでも見える配置で、監視というより「見守り」の圧がある。目の下の渦巻きは鼻ではないと説明されることが多く、「1」に見立てられる記号として語られる。真理は一つ、という解釈につながる。名探偵コナンか。
境内は時計回りに巡るのが基本でマニ車を回し、旗が風に鳴る音を聞き、線香やバターランプの匂いの中を歩く。僧侶だけの場所ではなく、家族連れや商いの人も多かった。仏教だけで閉じず、ヒンドゥーの要素も自然に混ざる。境界より生活が前に出るのがネパール(カトマンズ文化)らしい。
ここで出会ったお土産屋のおっちゃん(私よりも若い)からミニミニマニ車、ガネーシャの置物など鞄に入る小さなお土産を買った。








パタン・ダルバール(博物館が最高)


Pathaoのバイクでスワヤンブナートから移動し、カトマンズ盆地の古都・パタンへ。 街並みは中世そのままで、まるでタイムスリップしたような空間が広がっている。 ここの見どころは旧王宮を利用したパタン博物館だ(入場料に博物館の見学も含まれている)。展示のクオリティが非常に高く、改めて自分は仏教が好きなんだなと実感をさせられる。展示の中には仏教の日本への伝来についても触れられており、遠い異国の地で自分のルーツを見るような感慨深さがあった。
ここで特筆すべきは、ダルバール広場の入場料だ。外国人は1,000ルピー、現地の人は30ルピー。実に33倍もの開きがある。元々物価が安い国という理由もあるが、この価格差から考えるべき本質は別にある。 これは「世界中の人が対価を払ってでも見る価値がある」、つまり世界的に認められていることの証明に他ならない。単に維持管理費用の問題だけではないのだ。プライドやブランディングとしてのみならず、その価格の裏には様々な意味が含まれていることを思い知る必要がある。 日本もまた、入場料をダブルプライスとして設定し、インバウンド観光客にどのように観光地を見せ、価値を提示していくか。今まさにそれを考えるべき時なのだろう。








カトマンズ・ダルバール


生き神「クマリ」が住むクマリの館を中心とした歴史地区、カトマンズ・ダルバール広場に来た。 ここで特に重要なのがクマリの拝観。普段は滅多に姿を見せてくれないクマリだが、12:00〜12:30の間だけ姿を見せてくれる。確実に会うためには12:00には館へ行ったほうが良いだろう。 撮影が一切禁止されているので注意。
このエリアを散策中にたまたま日本語のガイドに遭遇し、ガイドをお願いした。最初はここだけの案内で1,000ネパールルピーだったが、話を聞いているとガイドが素晴らしくコミュニケーション力高かったので、次の目的地であるボダナートまで同行をお願いすることにした。 支払いは合計で4,000ルピーくらい(サービス)。すごく良いガイドだったのでおすすめ。




ボダナート


世界遺産ボダナート(Boudhanath Stupa)に来た。 カトマンズ・ダルバール広場からガイドのバイクの運転で移動してきた。ここはチベット仏教の聖地であり、ネパール最大のストゥーパ(仏塔)が鎮座している。 パシュパティナートがヒンドゥー教の「動」や「死」のエネルギーだとするなら、ここは仏教的な「静」や「祈り」の空間。
ストゥーパの周囲を人々が時計回りに回る「コルラ」を行っている。五体投地を繰り返す人、マニ車を回しながら歩く人。日本の大乗仏教はどこか静的で内省的だが、ここのチベット仏教は非常に身体的だ。仏塔の上部には「ブッダの知恵の目」が描かれ、四方を見渡している。日本の仏像のように崇める対象というより、向こう側から常に見られているという感覚になる。地・水・火・風・空という宇宙の構成要素を象徴していることを知る。宇宙をかなり意識している。ヒンドゥー的。





モモを食べる
エベレストモモセンター
カトマンズに着いて最初に訪れたのが「エベレスト・モモ・センター」。桃の超有名店。タメル地区の端にありタメルから歩いていける。地元民のお店。超ローカルな感じ。名物の「Jhol Momo(ジョル・モモ)」しかない。ジョルとはスープのこと。蒸したモモに、スパイスの効いたクリーミーなソースがなみなみと注がれている。注文が届いたら目の前でスープが注がれる。
面白いのはその中身。具材は「バフ(水牛)」。ヒンドゥー教徒が多いネパールでは、神聖な牛(Cow)は食べないが、水牛(Buffalo)は食べる。この宗教的な線引きが非常にネパール的。 味もまさに文化の交差点。モモという形状自体はチベット(北)由来だが、このスパイシーで濃厚なソースは完全にインド(南)の影響を受けている。北の食文化と南の食文化がここで衝突し、融合している。




Shandar Momo
カトマンズでモモと言えば先ほどの「エベレストモモセンター」が有名だが、この「シャンダール」も地元民に絶大な人気を誇るライバル店。モモセンターから歩いて行ける。ここもスタイルは「ジョル・モモ(スープモモ)」。具材はもちろん水牛(バフ)。
エベレスト・モモとの違いはスープのスパイス感だ。エベレストがクリーミーでマイルドだとすれば、シャンダールはもう少し鋭い辛さとパンチがある。皮の食感や餡のジューシーさも微妙に異なる。 モモが運ばれてきてから自分でスープを注ぐタイプ。ネパール人の中でも「エベレスト派」と「シャンダール派」ではっきりと好みが分かれることだ。日本で言うラーメンの派閥争いや、牛丼チェーンの好みの違いに近い感覚かもしれない。 たかがモモ、されどモモ。この2店舗を食べ比べることで、ネパールの国民食の奥深さと、日常に根付いた食へのこだわりが見えてくる。




Narayan dai ko masangalli ko famous momo
パタン・ダルバール広場のすぐ近く、マンガルバザールにある「Narayan dai ko masangalli ko famous momo」に来た。 名前が非常に長いが、直訳すると「マサンガリ通りのナラヤン兄貴の有名なモモ」。本店はカトマンズの路地裏にあるが、ここはパタンの支店だ。結構な店舗数があり、ネパールで成功したフランチャイズの一つと言える。
ここの最大の特徴は、スープ(ソース)に「きな粉」が使われている点だ。 エベレストやシャンダールのようなスパイス全開のスープとは異なり、きな粉由来の独特のとろみと香ばしさがある。蒸したてのモモに、この少しざらつきのある濃厚なソースを絡めて食べる。 皮は非常に薄く、噛むと口の中で肉汁が弾ける。まさに小籠包に近い感覚だが、ソースの味わいは完全にネパール独自の進化を遂げている。
エベレストが北(チベット)と南(インド)の融合なら、ここはそこに大豆という素材感が加わり、より土着的な味わいを感じさせる。 パタン博物館で洗練された仏教美術に触れた後、この店で野性味あふれるバフ(水牛)の肉汁ときな粉の風味を味わう。同じパタンという街の中で、精神的な充足と肉体的な食欲の両方を満たすことができる。


ダルバートを食べる
Paru Thakali Kitchen
ネパールの食を語る上で避けて通れないのが「ダルバート(Dal Bhat)」だ。 ここ「パル・タカリ・キッチン」はそのダルバートの最高峰、タカリ料理を提供することで知られる店。ネパールに到着した時空港で声をかけられた現地の人に教えてもらった。
まずダルバートとは Dal(豆のスープ)とBhat(米)、それにタルカリ(おかず)やアチャール(漬物)がセットになった、いわゆるネパールの定食。日本で言えばご飯と味噌汁と漬物に近い感覚だが、決定的に違うのは、これらを皿の上ですべて混ぜ合わせ、カオスな状態にして手で食べる点だ。そして、基本的にはおかわりが自由。これがネパール人のエネルギーの源。
ここのダルバートは路上の食堂のものとは訳が違う。「タカリ族」という、食にこだわりを持つ山岳民族のスタイルだ。 真鍮(しんちゅう)の重厚な食器に盛られ、ご飯の上には熱々のギー(澄ましバター)がかけられる。 食べてみると、豆のスープの深み、発酵した漬物の酸味、ギーのコクが複雑に絡み合う。洗練されている。 一般的なダルバートが「日常の燃料」だとすれば、ここのタカリセットは「味わうための料理」
モモに続き、ここでもネパールの食文化の奥深さと、家庭料理から宮廷料理のようなものまで広がる味のグラデーションを見ることができた。
ちなみにダルバートはどの店もメインのおかず以外は基本おかわり無料。無限に出てくるので注意が必要。


Thakali Bhanchha Ghar
最後に紹介するのはタメル地区の中心部にある「Thakali Bhanchha Ghar」。Google Mapでの圧倒的な高評価を頼りに訪問。 カトマンズでタカリ料理、つまりアッパーなダルバートを食べるならまず名前が挙がる有名店。
真鍮の重厚な食器。提供時にご飯の上から熱々のギー(澄ましバター)をかけてくれるスタイル。 特徴は、ダル(豆スープ)のクリーミーさと、付け合わせのアチャールのバランス。特に発酵野菜であるグンドゥルックや、ムラ(大根)のアチャールの酸味が、ギーの濃厚なコクを引き締める。一つ一つのクオリティが高く、混ぜ合わせた時の完成度は秀逸。
店内は清潔。観光客だけでなく現地の家族連れも目立つ。 パル・タカリが「食通好み」なら、ここはタカリ料理の「王道」。 ダルバートが単なる混ぜご飯ではなく、スパイスと発酵と油脂の計算された調和であることを理解するための、基準点。

