ネパール・カトマンズ:「カトマンズ・ゲストハウス KGH」ここに来なければカトマンズに来たことにはならないとまで言われる伝説のホテル
ホテル紹介

ネパール・カトマンズ:「カトマンズ・ゲストハウス KGH」ここに来なければカトマンズに来たことにはならないとまで言われる伝説のホテル

公開 ネパール🇳🇵

目次

ネパールの首都カトマンズ。その観光の核心部であるタメル地区の成り立ちを考察する上で、カトマンズ・ゲストハウス(KGH)の存在を抜きに語ることはできない。ロンリープラネットの創設者トニー・ウィーラーが「KGHに泊まらなければ、カトマンズに来たことにはならない」と評したこの場所は、単なる宿泊施設ではなく、ネパールの近代観光史における「起点」そのものであるからだ。

ラナ家宮殿の転用と、観光の近代化

KGHの歴史は1968年、ラナ家の王族が所有していた宮殿の一部を、創設者プラム・バハドゥール・シャキヤが借り受け、13室のゲストハウスとして開業したことに始まる。ここで重要なのは、104年にわたりネパールの実権を握ったラナ家の終焉(1951年)と、その後の王政復古に伴う「開国」の文脈である。

かつての支配階級の象徴であった欧風建築(ネオ・クラシック様式)が、国外からの旅行者に開放された事実は、ネパールにおけるホスピタリティ産業の構造変化を象徴している。重厚な石造りの壁や中庭を持つこの建築は、当時の粗末な宿舎とは一線を画す居住性を提供し、カトマンズにおける滞在の質を決定的に変容させた。

ガヘンドラ・サムシェール・J.B.・ラナ(Gahendra Shumsher J.B. Rana)とその妻の写真 /出典:Patan 博物館
1901年から1929年までネパールを統治した首相チャンドラ・サムシェール・J.B.・ラナ(Chandra Shumsher J.B. Rana)/出典:Patan 博物館

ヒッピー・トレイルの終着駅としての「シャングリラ」

1960年代後半から70年代初頭にかけて、世界的なカウンターカルチャーの潮流の中で、カトマンズは特別な意味を持つ場所となった。ロンドンやアムステルダムから、イスタンブール、テヘラン、カブール、ペシャワール、ラホール、デリーといった都市を陸路で経由しアジアを目指す「ヒッピー・トレイル」。その終着点として、カトマンズは当時の若者たちの精神的なフロンティアとなった。

当時の若者たちがカトマンズを目指した要因は、安価な物価、東洋神秘主義への傾倒、そして当時合法であった大麻の存在にある。ビートルズがインドのヒマラヤ麓を訪れ、東洋哲学を西欧に持ち帰ったことが火付け役となり、カトマンズは「失われた楽園(シャングリラ)」の具現化として熱狂的に受け入れられた。この時代、KGHは彼らにとっての「情報の集積地」であり、西欧の論理と東洋の混沌が交差する結節点として機能した。

ダルバール広場からタメルへの遷都

歴史的に見れば、初期の旅行者の拠点はカトマンズ中心部のダルバール広場に隣接する「Freak Street」であった。しかし、なぜ現在の観光の拠点はタメルへと移動したのか。その要因の筆頭に挙げられるのがKGHの存在である。

Freak Streetは過密な旧市街に位置し、衛生環境や拡張性の面で限界を抱えていた。一方、当時のタメルは一面の畑が広がる閑静な郊外であった。KGHがこの地で成功を収めたことにより、周辺には次々と飲食店や土産物店、登山用品店が立ち並ぶようになる。KGHという一つの「核」が、タメルという巨大な観光エコシステムを形成させる誘因となったのである。これは、都市形成における「アンカー・テナント」の役割をKGHが果たしたと言い換えることができる。

奥の方がFreak Streetにあたる
カトマンズ中心ダルバール広場

KGHが「伝説のホテル」へ

KGHの地位を不動のものにしたのは、1970年代に勃興した個人旅行メディアの影響も大きい。ロンリープラネット創業者であるトニー・ウィーラーは1972年にアジアを横断し、その経験を元に『Across Asia on the Cheap』を出版。Across Asia on the Cheapは初期のロンリープラネットと言われるもので、このAcross Asia on the CheapにおいてKGHは「カトマンズの定宿」として決定的に定義された。

その後、ミック・ジャガーやリチャード・ギアといった著名人が訪れることで、KGHは「ヒッピーの聖地」から「文化的な教養を持つ旅人の拠点」へとそのブランドをスライドさせていく。

今回の旅の宿に選んだのは、タメルの象徴とも言える「カトマンズ・ゲストハウス(KGH)」だ。「ここに来なければカトマンズに来たことにはならない」というトニー・ウィーラーの言葉に背中を押されるようにして、Booking.comで予約を入れた。

KGHの客室など少し紹介

タメルの迷路のような路地を抜けると、突如として圧倒的な風格を漂わせる黄色の建物が現れた。入り口は西ゲートと東ゲートの2つがあり、どちらからもアクセスできる。現地での知名度は高くタクシーや街の人に「KGH」と伝えるだけで、誰もが「ああ、あそこね」と頷いてくれる。初めてのカトマンズでも、迷うことなく辿り着ける安心感はこのホテルならではの価値だと思う。

チェックインを済ませ、重厚な木の手すりがある階段を上がって客室へ。

  • 部屋の印象:1968年にわずか13室から始まったというこの宿だが、今では多くの客室を備えている。私が泊まった部屋は、清潔でありながらも、どこか懐かしいクラシックな空気に満ちていた。
  • シャワー少し弱め:歴史ある建物を改装しているためか、浴室のシャワーは少しコツが必要だった。お湯が出るまでに時間がかかったり、温度が安定しなかったりと少し使いづらさはあるが、それもまた「伝説の宿」に泊まる醍醐味の一つとして受け入れられた。
一人旅には十分のサイズのStandard Room
少し古さを感じたがこんなもんだろう
クラシックな雰囲気
客室数は多いように思う

ヒッピーたちの残響を感じる中庭、朝食

KGHの真価を実感したのは、広々とした中庭に足を踏み入れた時だった。

  • 語らいの場:手入れの行き届いた芝生には、横たわる像のオブジェがあり、静かな時間が流れている。かつてここがジョージ・ハリスンや多くのヒッピーたちの拠点だったという歴史のパネルを眺めていると、当時の若者たちがここで何を語り合ったのか、その空気感が伝わってくるような気がした。
  • 至福の朝食:翌朝、中庭を望むレストランでいただいた朝食は本当に素晴らしかった。新鮮なフルーツやシリアル、温かい料理が並ぶビュッフェは、旅の疲れを癒してくれる最高の時間だった。

中庭に下記のようなホテルの説明がありました。

カトマンズ・ゲストハウス(Kathmandu Guest House) ネパール

カトマンズ・ゲストハウス(KGH)は、ネパールで最初期に作られたホテルの一つです。西暦1968年の創業当時は、わずか4部屋、1泊1ドルからのスタートでした。

今日のKGHは、ネパールを象徴する歴史的なランドマークとしてその地位を確立しています。登山家、歴史家、人類学者をはじめ、ネパールの発展のほぼあらゆる側面に尽力した伝説的な人物たちとの深い関わりによって、世界中にその名を知られています。

もともとの建物は、西暦1902年、クマール・ナルシン・ラナ(Kumar Narsingh Rana)の設計によって建てられました。彼は、「シンハ・ダルバール(ネパール初の国会議事堂)」と共に、コロニアル様式の宮殿を手掛けたネパール初の建築家です。この宮殿は1962年にシッディ・バハドゥール・サキャ(Siddhi Bahadur Sakya)の手に渡り、その後、息子のカルナ・サキャ(Karna Sakya)によってホテルへと改装されました。

また、KGHは「ヒマラヤへの玄関口」や「タメルの生みの親」としても知られています。『ロンリープラネット』の創設者であるトニー・ウィーラーは、次のように述べています。「カトマンズ・ゲストハウスは、イスタンブールと同じく、誰もが一度は通らなければならない要所(ボトルネック)である」

あなたは今、世界最高峰の山々に初登頂し、最も深い峡谷を下り、世界と自分自身を発見するために未踏の道を歩んだ先駆者たちと、同じ大地の上に立っています。

初めてのネパール滞在を、この場所から始められたことは幸運だったと思う。設備の古さからくる不便さも含めて、このホテルが刻んできた時間の重みを肌で感じることができた。「またカトマンズに来るなら、次もここに帰ってこよう」。そう思わせてくれる、唯一無二の魅力がこのKGHには息づいている。

カトマンズ・ゲストハウス 歴史年表

KGHのロビーに掲げられた「History of the KGH」のパネルは、このホテルがいかに重層的な歴史の上に成立しているかを物語っている。特筆すべきは、19世紀末の王宮建築としての出自から、1960年代のカウンターカルチャー、そして現代のラグジュアリー・エコツーリズムに至るまでの連続性である。

年代出来事・歴史的背景関連する重要人物・言説
1893年ネパール初の建築家クマール・ナルシン・ラナ大佐により、ラナ家の宮殿として建設される。クマール・ナルシン・ラナ(建築家)
1953年サキャ家(Siddhi Bahadur Sakya夫妻)が土地と建物を購入。1968年まで家族の邸宅として使用される。「この場所は、時を経てダイヤモンドになるだろう」 — Siddhi Bahadur Sakya
1968年カトマンズ・ゲストハウス(KGH)開業。 13室からのスタート。ネパール観光史の転換点。ピース・コープ(平和部隊)ボランティアらが地図に掲載し始める
1960年代後半ビートルズのジョージ・ハリスンが滞在。ヒッピー・トレイルの目的地としての地位を確立。ジョージ・ハリスン(ザ・ビートルズ)
1970年代ロンドンからカトマンズを結ぶ陸路バス「エンカウンター・オーバーランド」の拠点となる。ヒッピー・トレイルの旅行者たち
1972年ロンリープラネット創設者がKGHを絶賛。個人旅行者の「聖地」としてメディアに固定化される。トニー・ウィーラー(Lonely Planet創設者)
1977年タメルがアドベンチャー・ツーリズムの中心地として台頭。KGHがそのハブ機能を担う。登山家、冒険家たち
1980年代〜世界的な著名人や文化人が滞在。ヒッピーの宿から、文化的なヘリテージホテルへと変容。ジミー・カーター、ミック・ジャガー、リチャード・ギア、ジョン・F・ケネディJr.
2002年Insight Guidesにより「アジアのリードホテル50選」の一軒に選出される。インサイト・ガイド(旅行ガイド誌)

さいごに

資料が示す通り、KGHは単なる一軒のホテルではない。1893年の王宮建築から始まり、ジョージ・ハリスンが求めた精神的解放の場を経て、トニー・ウィーラーが定義した現代的な個人旅行のスタイルに至るまで、カトマンズの都市変容そのものを体現している。

フリーク・ストリートの熱狂が去り、観光が産業として洗練されていく中で、KGHは変容し続けるカトマンズの「不動の座標」として、今なおその歴史を刻み続けている。

関連リンク

関連記事