遠く離れた二つ「浜松」を結ぶ歴史の糸――「浜松」と「浜松町」の由縁と徳川家康

遠く離れた二つ「浜松」を結ぶ歴史の糸――「浜松」と「浜松町」の由縁と徳川家康

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静岡県の政令指定都市である「浜松」と、東京都港区に位置するビジネス街「浜松町」。名前が非常に似ているため、ふとした瞬間に混同してしまうという経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

全く異なる場所に存在するこの二つの街ですが、その名称が共通しているのは決して偶然ではありません。歴史の紐を解いていくと、そこには江戸幕府を開いた「徳川家康」、そして江戸時代を生きた人々の郷土への思いが深く関わっている。

本記事では、公的な郷土史料や幕府の編纂記録といった確かなエビデンスに基づき、浜松と浜松町を繋ぐ知られざる歴史的背景について詳しく解説いたします。

1. 徳川家康の飛躍の地、遠江国「浜松」

まずは、地名の大元である静岡県浜松市について触れておく。 写真にそびえ立つ浜松城は、徳川家康が元亀元年(1570年)に入城し、29歳から45歳までの約17年間という、まさに血気盛んな青年期から壮年期を過ごした極めて重要な拠点です。

この時期の家康は、武田信玄との激闘である「三方ヶ原の戦い」で生涯最大の敗戦を喫するなど、幾多の存亡の危機に直面しました。しかし、それらの苦難をこの浜松の地で乗り越え、後の天下統一へと繋がる強固な基盤を築き上げたのです。 のちに浜松城は、歴代の城主が幕府の老中などの要職に出世していくことが多かったため、別名「出世城」とも呼ばれるようになりました。家康にとっても、幕府にとっても、浜松は特別な意味を持つ「聖地」のような場所だった。

2. 江戸における「久右衛門町」の誕生と増上寺

一方、東京の「浜松町」はどのようにして生まれたのでしょうか。そのルーツは、徳川将軍家の菩提寺である「増上寺」の移転に端を発します。

家康が江戸に入府した後、慶長3年(1598年)に増上寺が現在の芝の地へ移転してくると、それに伴って寺の関係者や職人たちが周辺に移り住み、新たな町が形成された。 江戸時代初期の慶長年間(1596~1614年)には、この一帯は増上寺の代官であった「奥住久右衛門(おくずみきゅうえもん)」という人物が名主役を兼任して治めており、彼自身の名前にちなんで長らく「久右衛門町」と呼ばれていました。

3. 公式史料が語る「浜松町」改称の真実

御府内備考 沿革図書(文久2年)出典:『御府内備考 沿革図書』から編成した『東京都港区近代沿革図集 新橋・芝公園・芝大門・浜松町・海岸』より1976年/所蔵:東京都港区立三田図書館
市原正秀『明治東京全図』(明治9年)出典:『東京都港区近代沿革図集 新橋・芝公園・芝大門・浜松町・海岸』より1976年/所蔵:東京都港区立三田図書館

長らく「久右衛門町」と呼ばれていたこの地が、なぜ現在の「浜松町」へと姿を変えたのか。その決定的な証拠となる公式記録が残されています。

昭和51年(1976年)に東京都港区立三田図書館が発行した公式郷土史料『東京都港区近代沿革図集 新橋・芝公園・芝大門・浜松町・海岸』には、江戸幕府が編纂した地誌『文政町方書上(ぶんせいまちかたかきあげ)』からの引用として、改称の経緯が明確に記されている。

「慶長(1596~1614)のころ,増上寺の代官奥住久右衛門が名主役をつとめていたころの町名である。同人が元禄9年(1696)に名主を退役したあとを,遠州浜松に出生した権兵衛という者が名主役をつとめたときから浜松町壱町目・弐町目・三町目・四町目と改めた。(文政町方書上)」

この記述が示す通り、元禄9年(1696年)に奥住久右衛門が名主を退き、新たに跡を継いだ「権兵衛」という人物が、家康ゆかりの遠江国(現在の静岡県西部)浜松の出身であったことが由来です。権兵衛が自身の生まれ故郷にちなんで町名を改めたことで、江戸の町に「浜松町」が誕生した。

なお、同史料の注釈には歴史研究における興味深い考察も付記されています。 慶長年間(1614年頃)から元禄9年(1696年)までを奥住久右衛門が一人で治めていたと仮定すると、在任期間が80年を超えてしまい不自然です。そのため、編纂者は「名主を世襲したものを同一人が名主を勤めたような表現の誤りであろうか」と推測しています。こうした矛盾に対する冷静な分析があるからこそ、一次史料としての信頼性がより一層際立ちます。

4. 現代に受け継がれる歴史の面影

江戸時代、神君・家康ゆかりの「浜松」という名を冠したこの一帯は、大名屋敷が立ち並ぶ重要なエリアとして発展を遂げました。

そして時が流れ、現代の浜松町は、東京モノレールを通じて羽田空港と直結し、新幹線やJR各線が行き交う大都会の交通・ビジネスの中心地へと進化を遂げています。 写真に収められているように、高層ビル群や東京タワーを背景に新幹線が走り抜ける近代的な風景の中にも、増上寺の代官や浜松出身の名主・権兵衛が築き上げた江戸の歴史が、確かな地名として息づいています。

また、東京の「浜松町」と静岡の「浜松」が、現在では東海道新幹線という一本の鉄路によって物理的にも強く結ばれているという事実に、不思議な歴史の巡り合わせを感じる。

さいごに

「浜松」と「浜松町」。地理的には遠く離れた二つの街ですが、徳川家康の存在と、江戸時代に生きた一人の名主の「郷土愛」という確かな歴史的繋がりによって結ばれている。

次に東京の浜松町を訪れる際、あるいは新幹線でこの地を通過する際には、ぜひビルの谷間に眠る江戸の歴史や、遠く静岡の浜松城へと連なる壮大な物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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