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ギリシャ・アテネといったら何を思い浮かべるだろうか。パルテノン神殿など古代遺跡の観光地を思い浮かべるだろう。この「ギリシャ」という国名や「パルテノン神殿」「アテネ」という名称は、現地ではほとんど見かけず混乱することが多い。まず、ギリシャは英語では Greece(グリース)、アテネは Athens(アセンズ)。パルテノン神殿は建物の名前で、この一帯は Acropolis(アクロポリス) と呼ばれている。建物そのものは Parthenon(パルテノン) と呼ばれるが、現地ではその表記を見る機会が少ないため、日本人は混乱しがちだ。現地で「パルテノン神殿はどこですか?」と聞いても分からない人がいるかもしれないが、「アクロポリスはどこですか?」と聞けば間違いなく通じる。
このアクロポリス(パルテノン神殿のあるエリア)の歴史はあまりに古く、簡潔に語るのは難しいが、ざっくりまとめると、遥か昔から岩山の要塞として利用され、やがて女神アテナを祀る聖域へと整えられた。紀元前480年のペルシア戦争で神殿群が破壊され、紀元前5世紀中頃にペリクレスの計画で再建が始まり、紀元前447〜432年にパルテノンが完成。プロピュライア(入り口のところにある建物)やエレクテイオン(入り口から入って左側の建物)も整備され、都市国家アテナイの力と美の象徴となった。のちにパルテノンは教会、さらにモスクへと転用され、1687年の砲撃で大破。19世紀の独立後は発掘・修復が進み、古代の姿に近づける作業が今もなお続いている。1987年にユネスコ世界遺産に登録。建物の歴史としては2400年以上この場所に立っていることになる。イスタンブールのアヤソフィアの古さどころではない。




アクロポリス入場チケット
さて、このアクロポリスは世界的な観光地というだけあって、チケットの購入は早めにしておくことをおすすめする。私は当日の朝9:00ごろにチケット窓口へ行ったが、その時間のチケットは売り切れで、次回の入場は13:00と言われたため13:00のチケットを購入した。なお、チケット窓口(入場ゲート)は2か所あるので注意したい。
1)Acropolis Ticket Office ️(通常のチケット売り場)
2)South Slope(南口:地下鉄駅に近い)
チケットはどちらで購入しても、いずれの入場ゲートからでも入場できる。料金は30ユーロ。公式チケットは公式サイトで購入可能で、チケット名は Acropolis & Slopes(2つのゲートのどちらからでも入場可)。入場は時間指定制で、08:00–09:00、09:00–10:00、10:00–11:00、11:00–12:00、12:00–13:00、13:00–14:00、14:00–15:00、15:00–16:00、16:00–17:00、17:00–18:00の枠がある。オーディオガイド付きなど、何が“公式”なのか紛らわしい商品もあるため注意したい。私も分かりづらかったため、最終的に窓口で購入した経緯がある。なお、GetYourGuideやViatorでは、2025年時点で公式のアクロポリス単体チケットは販売されていない。
アクロポリスの入口は前述のとおり2か所(Acropolis Ticket Office と South Slope)。一般的に Acropolis Ticket Office 側は混雑しやすいが、周辺にプラカなどの観光スポットがあるため、界隈を散策してからAcropolis Ticket Office側から入場するのもおすすめだ。




1) Acropolis Ticket Officeの地図
2) South Slopeの地図
アクロポリス








パルテノンの説明その1:日本語訳
THE RESTORATION OF THE PARTHENON: WORKS IN PROGRESS AND INTERVENTIONS COMPLETEDには日本語訳がなかったので日本語訳をしておきます。

1687年のアクロポリス包囲戦での砲撃により起きた爆発で、パルテノン神殿は廃墟となった。1900〜1930年にかけて復元の試みが行われたものの、鉄筋コンクリートや鉄製の連結具の使用が大理石を著しく傷め、復元部位の構造的問題を引き起こした。1983年にパルテノンの修復工事が再開された。
東側では、1984〜1991年にかけて、柱の上のエンタブラチャー(水平部)の両隅の修復が行われ、オリジナルのメトープ(浮彫飾板)は精巧な複製品に置き換えられた(1–2)。


前室(プロナオス)の修復(1995–2004)では、元の位置が特定された建材を用いて北側の最初の3本の柱を部分的に復元し、第4・第5柱は完全に復元した。新たに補填した大理石鼓(つづみ)部の縦溝(フルーティング)の最終加工は現在も進行中である(3–4)。


北側周柱(コロネード)の修復では、中間の8本の柱とその上のエンタブラチャーを解体・構造修復・再組立てすることで、過去の修復介入で生じた誤りを正すことができた(5)。

2011年に着手したセラ(内陣)の長辺壁の工事は、新たな修復研究の成果に従い、特定できた全ての部材を組み込んで境界を確定させ、1687年の爆発後に近い形へと復元することを目的としている(6)。北壁(7)の作業は2011年以降継続しており、南壁の基壇石(オルソステート)の修復は最近になって開始された。


パルテノンの説明その2:日本語訳
THE RESTORATION OF THE PARTHENON: WORKS IN PROGRESS AND INTERVENTIONS COMPLETEDの日本語訳がなかったのでここに翻訳しておきます。

オピストドモス(後室)での作業(1992–1993年、2001–2004年)では、1997年に特殊な注入モルタルによる柱の強化を実施し、あわせて柱頭や上部ドラム、そして神殿のエンタブラチャーの構造修復を行った。西側フリーズのブロックは解体のうえレーザー機器で洗浄し、その位置には石製の複製品を設置した(1–2)。


西側での作業(2011–2015年)では、エンタブラチャーの両隅にある建築部材—柱頭や三角破風(ペディメント)の外側部分を含む—を取り外して構造修復を行った。博物館へ移送された隅部の7枚の古代メトープの位置には、新たに製作した複製品を据え付けた(2, 3, 4)。


2017年6月には、西破風の保存・修復計画が開始された。主目的は記念建造物の保護と保存であり、破風の外面中央部(ティンパヌム)と内側(背面壁)の部材の修復と再据え付けが行われた。再据え付けの際には、両面を横断的に連結するため、特製のチタン製ジョイントを設置した(5–6)。さらに、関連研究の承認に基づき、ティンパヌムを新しい大理石部材で全面的に補完する計画が検討・承認され、その後、新材のブロックで増補が実施された。



今後の期間(2023–2025年)には、西翼部の屋根天井の修復が行われる予定である。対象は、すでに修復済みの古代梁、1950年代に製作された梁、そして新しい格間(カセット)天井板の一部または全部の据え付けである(7)。
これがテロマエロマエ(ローマ浴場)
アテネの街中を歩いていたらいきなり現れたのが本物のテロマエロマエだった。結構普通に現れたのでびっくりした。解説があったのだがギリシャ語と専門用語の多い英語での説明で読むのが大変だと思うので日本語を準備しておいた。ここへ行く方は是非とも参考にしてほしい。




文化省 ― ローマ浴場 遺跡

この場所では、アテネ地下鉄の換気立坑を設ける計画に伴い発掘調査が行われ、重要な成果が得られた。出土品は現地保存とし、換気立坑は南側へ移設された。
この地区は、ハドリアヌス帝による都市拡張までは城壁都市の外に位置していたが、古代以来重要な場所だった。古代文献や先行発掘の成果から、近くを流れるイリソス川の豊富な水と繁茂する植生に恵まれ、多くの神々が崇拝された閑静な地であったことが分かっている。先史時代から人が住み、幾何学様式期には墓地として用いられた。
ハドリアヌス帝の治世にアテネの都市が拡大し、オリュンピアのゼウス神殿が完成、皇帝を讃える凱旋門が建てられると、この地区は城壁内に編入され、新たな聖域や公共・私的建築、浴場が造営された。
発掘区域のうち最大規模の区画には、保存状態の非常によい浴場複合施設(バルネウム)(1)が含まれる。これは、良質な造りの二本の長大な高い壁(多くの転用建材を含む)に挟まれた、幅21メートルの整地面に建っている。


浴場は東へは国立庭園内、西へはアマリアス大通り沿いに続き、二つのハイポコースト(床下暖房室)、二つのプレフルニウム(炉室)、九つの部屋からなる。建設は3世紀末のヘルール人襲来後から4世紀初頭にかけてで、のちに破壊されたが、5~6世紀に修復・拡張された。
大きい方のハイポコーストには、円柱状と方形のものが混在する15本の支柱(ピラエ)と区画壁があり(2)、熱湯室(カルダリウム)を温めていた。すぐ北にはもう一つの細長いハイポコーストがあり、その床はハイポコースト用支柱の代わりに、再利用の大理石墓標柱17本で支持されている(3)。これは微温湯室(テピダリウム)である。二つの炉は地下のアーチ通路(4)でカルダリウムとつながっており、三つの小室を介して熱気を循環させた。室壁の垂直開口は換気と壁体加熱の役割を果たした。



この時期には、内部に厚い防水漆喰、外側に大理石板を用いた大型の長方形貯水槽も築かれ、二つの開口部を通じて、出土時の位置に残っていた二基の大理石水盤へ給水していた。
第二期(5~6世紀)には、ハイポコースト室が修復され再使用された。タイル床の新しい四室が増築され、その一つは地下に造られ、ヴォールト天井を持ち、内部には揚水用の井戸が掘られた。内部はタイルとモルタルの床で丁寧に仕上げられ、北壁には人や魚、鳥、十字架を描いた素朴な場面の痕跡が残る。これらの粗い壁画(5)は、この部屋が初期キリスト教時代に避難所あるいは殉教者記念所として用いられた可能性を示している。
また、遺跡の別区画では、穀物を貯蔵する粘土製サイロが浴場各室の床に埋設されていた例も確認され、南側ではいくつかの部屋が復旧された。
宿泊した宿:AirBnb
宿泊したAirbnbは、私のスーパーホスト向けプレゼントバウチャーで予約した。アテネの宿泊費はかなり値上がりしており、Airbnbでもそこそこの値段がした。宿泊先のホストもスーパーホストだったので安心していたのだが、とにかくややこしかった。まず場所が不明。Google Mapsのピンで建物までは分かるが、入口が分からない。何度も入口をメッセージで確認したが、なぜかホストからは写真は送られてこないので、こちらから「ここですか?」と入口の写真を送り続ける。それでも曖昧な回答だったので、見つけた入口のキーパッドに送られてきた数字を入力。正解だった。こんな無理ゲー、なかなかない。
指定された階に上がると、今度はキーボックス。これなら開くだろうと思ったが、指定の数字は別の鍵の番号だったらしく開かない。無理ゲー。続いて入手した鍵でドアを開けようとしたが、クセが強すぎるドアで本当に開かない。右に回しても左に回しても開かない。私もいろんなホテルに泊まっているのである程度のパターンは知っていると思っていたがまだまだ修行が足りなかった。
治安の悪いアテネということもあって、こういう時に限ってセキュリティは妙に堅牢で、鍵が2つ。とにかく開かない。そこへホストから「ドアを壊さないでください」とメッセージが来る。おそらく以前に壊した人がいるのだろう。20分ほど格闘の末、なんとか開いた。まるで知恵の輪だった。
アテネの印象は正直よくない。宿の選択一つで、その都市のイメージは簡単に悪くなる。やはり良いホテルに泊まろう。




アテネの治安はかなり悪い

すごいいい風景じゃん、ってアテネの市街地の写真撮ったら3人組に大声張り上げられて私を追ってきてやばかった。おい!お前!こっちとんな的なことを言っていたんだと思う。なんか取引だったのかもしれない。
写真を撮る時は気をつけて。たまたま近くに警察がいたから良かった。運はいい方だと思う。
実際いい景色の街角の写真じゃないですか。
空港からのアクセス
アテネの空港到着ゲート出て右の一番奥、X95のバスにのり「シンタグマ」の終点まで。シンタグマのバス停は朝早くからもバスは運行しているので帰りは全く同じルートのX95のバスに乗れば空港に行くことができます。


空港のバス乗り場
シンタグマのバス停